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円覚寺 (深浦町) : ミニ英和和英辞書
円覚寺 (深浦町)[えんがくじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まる, えん]
 【名詞】 1. (1) Yen 2. money 3. (2) circle
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 

円覚寺 (深浦町) ( リダイレクト:円覚寺 (青森県深浦町) ) : ウィキペディア日本語版
円覚寺 (青森県深浦町)[まち]

円覚寺(えんがくじ)は、青森県西津軽郡深浦町にある真言宗醍醐派の寺院。山号は春光山。本尊は十一面観音津軽三十三ヶ所観音霊場の第十番札所である。
== 歴史 ==
創建について『津軽一統志』には「平城帝の大同2年(807年征夷大将軍坂上田村麿、観音堂を此地に建立し、厩戸皇子の巧妙作となる十一面観世音菩薩像を安置した」とある。〔津軽一統志〕
円覚寺の縁起には「清和天皇の貞観10年(868年)円覚法印は大和国の人にて、泰澄大徳の弟子、浄定の末弟なり。修験道を奉じ諸国の霊山を遍歴し、遂に此地に来り、田村麿創建するところの観音堂を再興し茲に草庵をたてて円覚寺と称す」とある。
平安時代、嘉応年中には鎮守府将軍藤原基衡が堂宇を再建したことが棟札などに記されている。
奉納された懸仏の裏に、「年武運長久 平継久」と墨書がある。
室町時代には、至徳2年(1385年)銘の鰐口。永正3年(1506)には、葛西木庭袋伊予守頼清が堂宇を再建したことが棟札などに記されている。
江戸時代初期、笏谷石製の宝篋印塔
江戸時代には、津軽藩の祈祷寺院となり歴代藩主の庇護の元、堂宇の修復再建がされていた。
主な修復を挙げると、
*寛永元年(1624) 2代藩主津軽信牧が本尊台座、光背を彫刻寄進。
*寛永 2年(1625) 2代藩主津軽信牧が堂宇を再建。
*明暦元年(1655) 3代藩主津軽信義が堂宇を修復。
*寛文 7年(1667) 4代藩主津軽信政が堂宇を再建。本尊に彩色箔仏荘厳。
*元禄13年(1700) 4代藩主津軽信政が堂宇を再建。
*享保13年(1728) 5代藩主津軽信寿が堂宇を修復。
このような奉納物から、各時代において豪族の庇護があったことがうかがえる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「円覚寺 (青森県深浦町)」の詳細全文を読む




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